川勝広業

『江戸切絵図』愛宕下/嘉永2年(近江屋版)より抜粋、「川勝隼人」は広業の実子の表記。広業は嘉永2年7月に卒し、10月に隼人が家督を継いでいるため、この情報が既に反映されていると推定。補足資料の『御府内沿革図書』の記載から広業の屋敷地も同区画と推定。川勝広運は孫。家禄は2573石

使番から駿府定番に昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政12年1月11日1829年2月14日使番新蔵
天保6年7月2日1835年7月27日使番中務駿府目付代
天保7年使番刑部
天保9年使番舎人
弘化5年使番中務
嘉永元年6月使番中務鹿狩御用取扱
嘉永2年3月9日1849年4月1日駿府定番中務
嘉永2年7月中務卒

屋敷地推定

屋敷地推定補足

東京市 編『御府内沿革図書』第二篇下,東京市. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3436308 (参照 2026-11-01) 『御府内沿革図書』天保元年に広業の記載が確認できるため、同区画を屋敷地と推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/弘化5年)使番より抜粋、家紋は釘抜

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2026-11-01)