横田寿松

『江戸切絵図』赤坂/万延2年より抜粋、「横田筑後守」は寿松の実父である横田春松の表記だが、実際には安政6年に寿松が家督を継承しており、この情報の更新が漏れていると推定。家禄は9500石。近江国蒲生郡、甲賀郡、野洲郡、栗太郡、武蔵国比企郡、足立郡、埼玉郡、下野国塩屋郡、安蘇郡、河内郡に知行地を有する

中奥番から火消役に昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政6年1月14日1859年2月16日中奥番甚太郎筑後守惣領
安政6年7月27日1859年8月25日中奥番甚太郎
万延元年閏3月15日1860年5月5日火消役(飯田町)甚太郎
文久3年8月甚太郎卒

屋敷地推定

別地屋敷地

『江戸切絵図』番町/文久3年(茨城大学図書館所蔵)より抜粋、「定火消御役屋舗 横田甚太郎」表記区画を寿松の屋敷地(定火消役屋舗)と推定。同区画は嘉永3年の『江戸切絵図』では「定火消御役屋舗 小笠原弥八郎」(小笠原長儀)表記、安政5年の『江戸切絵図』では「定火消御役屋舗 戸田民部」(戸田光烈)表記、元治元年の『江戸切絵図』では「定火消御屋敷 水野國之助」(水野貞尚)となっている

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/文久2年)火消役より抜粋、家紋は釘抜