長崎目付について

『大成武鑑』の遠国之部には、幕府の直轄地の行政や防衛の監察を目的とした遠国目付として、大坂目付、駿府目付、長崎目付の記載が確認できます。このうち、大坂目付と駿府目付は嘉永期から万延期まで毎年、決まった運用で使番などから任命されていました。これに対して、長崎目付は嘉永元年~嘉永5年までは任命されていませんでした。ところが、ペリーやプチャーチンの来航以降、長崎が諸外国との外交の要地となったことから、嘉永6年以降、不定期に、さらに必要に応じて複数人任命されるようになりました。大坂目付や駿府目付があらかじめ決まった内容の監査という側面が強いのに対して、長崎目付は外交交渉などに立ち会うため、使番ではなく、上位職である目付から選任された点も異なります。以下に嘉永~文久にかけての任命者と任命年月日を列挙します。

長崎目付

荒尾成允(嘉永6年10月8日)

永井尚志(嘉永7年4月5日)

浅野氏綏(安政2年4月10日)

岡部長常(安政3年1月24日)

木村喜毅(安政3年12月16日)

岩瀬忠震(安政4年4月15日)

松平康正(安政4年4月18日)

都筑峰暉(安政6年1月26日)

小倉正義(安政6年12月11日)

有馬則篤(万延元年12月18日)

妻木頼矩(文久元年12月23日)