『江戸切絵図』番町/元治元年より抜粋、「阿部越前守」表記区画を正外の屋敷地と推定。旗本期間中の家禄は3000石
要職歴任後、本家相続し老中まで昇進
役職通称遍歴
和暦 | 西暦 | 役職 | 通称 | 備考 |
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嘉永5年1月11日 | 1852年1月31日 | 使番 | 長吉郎 | 高3000石 |
安政2年5月29日 | 1855年7月12日 | 使番/火事場見廻 | 兵庫 | |
安政3年4月25日 | 1856年5月28日 | 小普請組支配 | 兵庫 | |
安政6年3月9日 | 1859年4月11日 | 禁裏附 | 兵庫 | |
文久元年11月11日 | 1861年12月12日 | 神奈川奉行 | 越前守 | |
文久2年8月5日 | 1862年8月29日 | 外国奉行 | 越前守 | 高3000石 |
文久3年4月23日 | 1863年6月9日 | 江戸町奉行 | 越前守 | |
元治元年3月4日 | 1864年4月9日 | 雁之間詰 | 越前守 | 本家白河藩阿部家相続 |
元治元年6月22日 | 1864年7月25日 | 寺社奉行/奏者番 | 越前守 | |
元治元年6月24日 | 1864年7月27日 | 老中 | 越前守 | |
慶応元年10月1日 | 1865年11月18日 | 豊後守 | 官位召上、領分罷越謹慎、御役御免 | |
慶応2年6月19日 | 1866年7月30日 | 豊後守 | 隠居、奥州棚倉へ所替 |
屋敷地推定
別地屋敷地

『江戸切絵図』大名小路/文久3年より抜粋、「北町御奉行 阿部越前守」表記区画を正外の屋敷地(北町奉行役屋舗)と推定。同区画は嘉永2年の『江戸切絵図』では「北町御奉行御役屋舗 井戸對馬守」(井戸覚弘)表記、安政7年の『江戸切絵図』では「北町奉行御役屋敷 石谷因幡守」(石谷穆清)表記、慶応元年の『江戸切絵図』では「北町御奉行所 池田播磨守」(池田頼方)となっている
武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)江戸町奉行より抜粋
家紋は丸に違い鷹の羽
幕府名士小伝(著:木村芥舟)
豊後守阿部正外、初め兵庫また越前守と称す。文久元年、神奈川奉行に任じ、同三年、町奉行に進む。偶宗家の嗣なきをもって相続し、元治元年、老中に任ず。翌年、将軍家に扈従して大坂に赴き、征長の事及び外国の交渉皆その節度に帰す。各国使臣の摂海(大坂湾)に来り要求する所あるにおよびて、之と会見し商議する所ありしが、専断の事ありしというをもって、京師より厳命ありて官位をうばわれて国に就く。この人、容貌、雋秀襟度、洒然すこぶる膽識ありて、外国の事情にも通ずといえども、往々練磨周詳を欠くの憾なしとせず。深く惜む所なり。