松平清秀

『江戸切絵図』愛宕下/万延2年より抜粋、「松平治郎兵エ」表記区画を清秀の屋敷地と推定。竹谷松平家。家禄は1200石

日葡修好通商条約調印全権のひとり

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
弘化4年1月11日1847年2月25日使番登之助
嘉永7年10月27日1854年12月16日寄合次郎兵衛
安政2年7月1日1855年8月13日徒頭次郎兵衛
安政4年閏5月1日1857年6月22日西丸目付次郎兵衛
安政5年8月2日1858年9月8日目付次郎兵衛外国掛
万延元年6月17日1860年8月3日目付次郎兵衛日葡修好通商条約調印(全権)
万延元年9月23日1860年11月5日目付次郎兵衛神奈川派遣
文久元年11月16日1861年12月17日禁裏附次郎兵衛
文久3年3月4日1863年4月21日禁裏附若狭守
慶応3年1月寄合若狭守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/元治2年)禁裏附より抜粋

家紋は丸に一つ引両