羽倉用九(羽倉外記)

『江戸切絵図』下谷/嘉永4年より抜粋、「羽倉外記」表記区画を用九の屋敷地と推定。家禄は228石

代官から勘定吟味役まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文化6年9月3日1809年10月11日代官左門家督
天保5年10月29日1834年11月29日代官外記布衣
天保13年1月15日1842年2月24日納戸頭外記
天保13年12月28日1843年1月28日勘定吟味役/納戸頭外記
天保14年閏9月23日1843年11月14日小普請外記高40石召上

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『天保武鑑』(須原屋/天保14年)勘定吟味役から抜粋、家紋は梅の花

幕府名士小伝(著:木村芥舟)

羽倉用九、外記と称す。志操耿介学問淹博久しく懸令の職に居て治績すこぶる著はる。天保改革の時勘定吟味役に任じ納戸頭を兼摂す。積弊を一掃して遺す所なく、大に群小の側目する所となれり。水野執政罷めらるるに及て罪を被りて廃退せらる。旧例琉球国王に賜はる所の布帛は粗薄の品なりしが、用九納戸頭のとき建議してこれ遠人懐柔の道にあらずとて、これより務めて精品を撰みて賜はることに改革ありしと。これ瑣事といへども俗吏庸流の思ひ到らざる所なりといへり。