米倉昌侃

『江戸切絵図』赤坂/嘉永3年より抜粋、「米倉大内蔵」表記区画を昌侃の屋敷地と推定。家禄は3000石

使番から小姓組番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保2年1月11日1831年2月23日使番中務高3000石
天保7年11月12日1836年12月19日新番頭(六番組)大内蔵
嘉永4年4月8日1851年5月8日西丸小姓組番頭(三番組)大内蔵
嘉永4年12月16日1852年1月7日西丸小姓組番頭能登守諸大夫
嘉永5年9月20日1852年11月1日小姓組番頭(四番組)能登守
嘉永6年12月27日1854年1月25日能登守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永6年)小姓組番頭より抜粋

家紋は平折敷に花菱

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-04)