山口直信

『江戸切絵図』市谷/安政4年より抜粋、「山口丹波守」表記区画を直信の屋敷地と推定。家禄は3000石

役方要職を歴任して小姓組番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保6年1月11日1835年2月8日使番主水高3000石
天保15年9月10日1844年10月21日目付内匠
弘化2年12月4日1846年1月1日目付内匠長崎表御用
弘化4年11月8日1847年12月15日小普請組支配内匠
嘉永元年7月10日1848年8月8日日光奉行内匠
嘉永元年9月15日1848年10月11日日光奉行丹波守諸大夫
嘉永3年9月23日1850年10月28日山田奉行丹波守
安政5年1月11日1858年2月24日普請奉行丹波守
安政5年6月21日1858年7月31日大目付丹波守
安政5年10月9日1858年11月14日西丸留守居丹波守
安政6年2月13日1859年3月17日勘定奉行(公)丹波守
安政6年9月12日1859年10月7日勘定奉行丹波守道中奉行
万延元年12月15日1861年1月25日大目付丹波守外国掛
万延元年12月25日1861年2月4日大目付丹波守分限帳改
文久元年7月30日1861年9月4日大目付丹波守日記掛
文久2年6月5日1862年7月1日小姓組番頭(二番組)丹波守
文久2年8月2日1862年8月26日丹波守願之通御役御免、隠居

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『嘉永武鑑』(須原屋/嘉永3年)日光奉行より抜粋

家紋は丸に結び雁金

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-04)