松平近直

『江戸切絵図』小川町/嘉永3年より抜粋、「松平河内守」表記区画を近直の屋敷地と推定。大給松平家。家禄は2000石

留守居次席勘定奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保5年1月11日1834年2月19日使番金之丞高2000石
天保8年7月16日1837年8月16日使番金之丞国々巡見御用
天保8年7月17日1837年8月17日西丸目付金之丞
天保12年2月23日1841年4月14日目付(家定公)
天保12年11月8日1841年12月20日目付四郎
天保14年1月16日1843年2月14日目付四郎長崎表御用
天保14年8月26日1843年9月19日勘定奉行(勝)四郎
嘉永6年8月28日1853年9月30日勘定奉行河内守内海台場普請及大筒鋳立掛
嘉永6年11月2日1853年12月2日勘定奉行河内守大船製造掛
嘉永7年4月2日1854年4月28日勘定奉行河内守下田表取締掛
嘉永7年7月24日1854年8月17日勘定奉行河内守軍制改正掛
安政2年12月12日1856年12月12日勘定奉行河内守城内修復用掛
安政3年10月20日1856年11月17日勘定奉行河内守外国貿易取調掛
安政3年11月15日1856年12月12日勘定奉行河内守婚礼用掛
安政4年4月18日1857年5月11日勘定奉行河内守調練場築造用掛
安政4年5月22日1857年6月13日留守居次席勘定奉行河内守
安政4年7月24日1857年9月12日田安家老河内守席次是迄通
安政4年11月23日1858年1月7日河内守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政4年)勘定奉行より抜粋

家紋は丸に釘抜

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-08-04)