松平正之

『江戸切絵図』外桜田/元治元年より抜粋委、「松平對馬守」表記区画を正之の屋敷地と推定。大河内松平家。家禄は3500石

役方要職を歴任し留守居格まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
嘉永5年1月11日1852年1月31日使番篤五郎高3500石
安政3年12月1日1856年12月27日西丸目付弾正
安政4年5月10日1857年6月1日目付弾正勝手掛、外国掛
安政5年8月11日1858年9月17日目付弾正将軍代替用掛
安政6年11月6日1859年11月29日目付弾正本丸普請用掛
安政7年4月28日1860年6月17日目付弾正国益主法掛
万延元年12月24日1861年2月3日目付備後守諸大夫
文久元年11月13日1861年12月14日作事奉行格目付備後守
文久2年5月22日1862年6月19日作事奉行格目付備後守政事改革用掛
文久2年8月24日1862年9月17日大目付備後守
文久3年8月13日1863年9月25日田安家老対馬守
元治元年7月10日1864年8月11日留守居格大目付対馬守
元治元年8月3日1864年9月3日勘定奉行(勝)対馬守席次・足高是迄通
元治元年11月22日1864年12月20日勘定奉行/関東郡代対馬守
慶応元年閏5月16日1865年7月8日勘定奉行/関東郡代対馬守進発御供
慶応元年10月16日1865年12月3日対馬守御役御免、差控

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/慶応元年)勘定奉行より抜粋

家紋は三つ扇