松平康正<松井松平家>

『江戸切絵図』番町/嘉永3年より抜粋、「松平久之丞」表記区画を康正の屋敷地と推定。松井松平家。家禄は3000石。家禄6000石の交代寄合・久松松平家にも幕末期に同名の松平康正(貞之丞/因幡守/出雲守)がいるが、別人物。

役方の要職を歴任

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
弘化4年1月11日1847年2月25日使番久之丞高3000石
嘉永5年5月29日1852年7月16日使番久之丞当分西丸目付介
嘉永5年12月25日1853年2月3日使番久之丞目付介御免
安政2年1月11日1855年2月27日目付久之丞勝手掛、外国掛
安政4年4月18日1857年5月11日目付久之丞長崎表御用
安政5年10月16日1858年11月21日目付久之丞将軍宣下諸用掛
安政5年12月12日1859年1月15日目付久之丞浪士飯泉喜内等吟味掛
安政6年8月7日1859年9月3日目付久之丞講武所普請用掛
安政6年9月10日1859年10月5日勘定奉行(公)久之丞
安政6年11月6日1859年11月29日勘定奉行本丸普請用掛
安政6年11月4日1859年11月27日勘定奉行(勝)
安政7年4月28日1860年6月17日勘定奉行出雲守国益主法掛
万延元年12月24日1861年2月3日留守居次席勘定奉行出雲守
文久2年8月24日1862年9月17日留守居出雲守
文久2年11月23日1863年1月12日寄合出雲守御役御免、差控
文久3年11月7日1863年12月17日寄合肝煎備中守
元治元年7月28日1864年8月29日田安家老備中守
元治元年11月19日1864年12月17日大目付備中守
元治元年12月18日1865年1月15日勘定奉行(勝)備中守
慶応元年9月勘定奉行備中守大坂表罷越
慶応元年10月15日1865年12月2日寄合備中守
慶応2年3月9日1866年4月23日寄合肝煎備中守
慶応2年8月26日1866年10月4日作事奉行備中守
慶応2年10月24日1866年11月30日寄合備中守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/万延元年)勘定奉行より抜粋

家紋は蔦