『江戸切絵図』愛宕下/万延2年より抜粋、「松平銈三郎」表記区画を勝實の屋敷地と推定。久松松平家。家禄は3000石
使番から小姓組番頭まで昇進
役職通称遍歴
和暦 | 西暦 | 役職 | 通称 | 備考 |
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万延2年1月11日 | 1861年2月20日 | 使番 | 銈三郎 | 高3000石 |
文久2年10月4日 | 1862年11月25日 | 使番 | 銈三郎 | 来二月御上洛之節御供 |
文久3年9月15日 | 1863年10月27日 | 目付 | 銈三郎 | |
文久3年11月11日 | 1863年12月21日 | 目付 | 銈三郎 | 御上洛御供 |
元治元年5月26日 | 1864年6月29日 | 寄合 | 銈三郎 | 御役御免 |
元治元年8月13日 | 1864年9月13日 | 小姓組番頭(七番組) | 銈三郎 | |
元治元年8月14日 | 1864年9月14日 | 小姓組番頭 | 銈三郎 | 長州征伐御供 |
慶応元年5月 | 小姓組番頭 | 河内守 | 御進発御供 | |
慶応2年9月4日 | 1866年10月12日 | 銃隊奉行 | 豊後守 | 席次足高是迄通 |
慶応2年12月30日 | 1867年2月4日 | 豊後守 | 辞 |
屋敷地推定
武鑑記載家紋
『大成武鑑』(出雲寺/元治2年)小姓組番頭より抜粋
家紋は六曜