松平信敏<長沢松平家>

『江戸切絵図』番町/元治元年より抜粋、「松平勘太郎」表記区画を信敏の屋敷地と推定。長沢松平家。家禄は1200石。家禄1000石で大河内松平家にも幕末期に同名の松平信敏(舎人/兵庫頭/主水正)がいるが、別人物。

使番から大目付まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
万延2年1月11日1861年2月20日使番大内蔵高1200石
文久2年6月11日1862年7月7日目付勘太郎
文久2年12月6日1863年1月25日目付勘太郎大坂其外沿岸見分御用
文久3年4月26日1863年6月12日大坂町奉行勘太郎
慶応2年9月1日1866年10月9日勘定奉行/大坂町奉行上洛留守中
慶応3年1月16日1867年2月20日大目付大隅守
慶応3年12月大目付次席大坂町奉行大隅守
慶応4年1月16日1868年2月9日勘定奉行(公)大隅守
慶応4年2月9日河内守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)大坂町奉行より抜粋

家紋は五七の桐