松平乗樸

『江戸切絵図』小日向/万延元年より抜粋、「松平甲次郎」表記区画を乗樸の屋敷地と推定。大給松平家。昌平黌学問吟味乙科及第(安政3年)。家禄は3000石

使番から書院番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政4年9月28日1857年11月14日学問所世話心得頭取甲次郎
文久元年10月1日1861年11月3日使番甲次郎高3000石
文久2年9月11日1862年11月2日目付甲次郎
文久3年2月11日1863年3月29日目付甲次郎上洛ニ付宿割
文久3年7月12日1863年8月25日小姓組番頭(四番組)甲次郎
元治元年8月13日1864年9月13日書院番頭(五番組)駿河守
元治元年8月14日1864年9月14日書院番頭駿河守長州征伐御供
元治元年9月10日1864年10月10日大坂町奉行駿河守席次是迄通
慶応元年7月17日1865年9月6日目付駿河守
慶応元年9月26日1865年11月14日持筒頭駿河守
慶応2年8月5日1866年9月13日寄合駿河守御役御免
慶応3年7月2日1867年8月1日寄合肝煎駿河守
慶応3年12月25日1868年1月19日寄合駿河守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)小姓組番頭より抜粋

家紋は蔦