長井昌言

『江戸切絵図』番町/元治元年より抜粋、「長井筑前守」表記区画を昌言の屋敷地と推定。家禄は1500石

三つの遠国奉行を歴任

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文久元年10月1日1861年11月3日使番五右衛門高1506石
文久2年7月11日1862年8月6日目付五右衛門
文久3年4月23日1863年6月9日寄合五右衛門
文久3年6月25日1863年8月9日神奈川奉行五右衛門高1500石
文久3年8月14日1863年9月26日先手弓頭五右衛門
文久3年9月10日1863年10月22日騎兵頭五右衛門高1500石
元治元年11月10日1864年12月8日堺奉行筑前守
慶応元年11月10日1865年12月27日京都町奉行筑前守
慶応元年11月19日1866年1月5日寄合筑前守
慶応3年7月23日1867年8月22日作事奉行格目付筑前守
慶応4年1月28日1868年2月21日寄合筑前守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/文久3年)先手鉄砲頭より抜粋

家紋は違い井桁

史跡

本立寺にある墓碑

没年は明治6年