『江戸切絵図』番町/元治元年より抜粋、「戸田能登守」表記区画を氏著の屋敷地と推定。家禄は2000石
役方の要職を歴任し留守居まで昇進
役職通称遍歴
和暦 | 西暦 | 役職 | 通称 | 備考 |
---|---|---|---|---|
文政8年12月7日 | 1826年1月14日 | 小納戸 | 伊三郎 | |
文政10年4月28日 | 1827年5月23日 | 西丸小姓 | 伊三郎 | |
文政11年12月16日 | 1829年1月21日 | 西丸小姓 | 能登守 | 諸大夫 |
天保8年4月2日 | 1837年5月6日 | 小姓頭取介 | 能登守 | |
天保12年1月11日 | 1841年2月2日 | 使番 | 能登守 | 高2000石 |
弘化2年2月27日 | 1845年4月3日 | 使番 | 能登守 | 西丸目付介 |
弘化2年8月3日 | 1845年9月4日 | 使番 | 能登守 | 西丸目付介御免 |
弘化2年9月4日 | 1845年10月4日 | 使番/火事場見廻 | 能登守 | |
弘化3年2月8日 | 1846年3月5日 | 目付 | 能登守 | |
嘉永3年9月29日 | 1850年11月3日 | 日光奉行 | 能登守 | |
嘉永5年10月8日 | 1852年11月19日 | 奈良奉行 | 能登守 | 高2000石 |
安政5年8月23日 | 1858年9月29日 | 普請奉行 | 能登守 | |
安政6年12月15日 | 1860年1月7日 | 一橋家老 | 能登守 | |
元治元年5月1日 | 1864年6月4日 | 留守居 | 能登守 | |
元治元年11月19日 | 1864年12月17日 | 大目付 | 能登守 | 席次是迄通 |
慶応2年2月22日 | 1866年4月7日 | 留守居 | 能登守 | |
慶応2年11月4日 | 1866年12月10日 | 寄合 | 能登守 | 御役御免 |
屋敷地推定
武鑑記載家紋
『大成武鑑』(出雲寺/慶応元年)留守居より抜粋
家紋は九曜
花押
[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-04)