戸田氏栄

『江戸切絵図』本郷/安政4年より抜粋、「戸田伊豆守」表記区画を氏栄の屋敷地と推定。昌平黌学問吟味乙科及第(文政11年)。家禄は500石

黒船来航時の浦賀奉行

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保12年閏1月24日1841年3月16日徒頭勘十郎
天保12年7月1日1841年8月17日使番勘十郎高500石
天保14年2月1日1843年3月1日目付勘十郎
天保14年9月24日1843年10月17日駿府町奉行勘十郎
弘化4年1月25日1847年3月11日日光奉行勘十郎
弘化4年2月9日1847年3月25日日光奉行上席浦賀奉行勘十郎勤候内2000石に足高
弘化4年4月1日1847年5月15日日光奉行上席浦賀奉行伊豆守諸大夫
嘉永5年9月20日1852年11月1日勘定奉行次席浦賀奉行伊豆守勤候内年々金200両被下
嘉永7年6月4日1854年6月28日西丸留守居伊豆守席次是迄通
安政4年2月24日1857年3月19日大坂町奉行伊豆守
安政5年8月21日1858年9月27日伊豆守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『嘉永武鑑』(須原屋/嘉永3年)浦賀奉行より抜粋

家紋は九曜

史跡

ペリー記念館前に建つ戸田伊豆守像

肖像

出典:東洋文化協会 編『幕末、明治、大正回顧八十年史』第1輯,東洋文化協会,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1688716 (参照 2024-05-31)