鈴木直列

『江戸切絵図』本所/文久3年より抜粋、「鈴木四郎左衛門」表記区画を直列の屋敷地と推定。家禄は2400石

使番から小普請組支配まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保15年1月11日1844年2月28日使番四郎左衛門高2400石
天保15年10月23日1844年12月2日使番四郎左衛門大坂目付代
弘化4年7月2日1847年8月12日使番四郎左衛門当秋駿府目付代
嘉永2年3月15日1849年4月7日使番四郎左衛門当分之内西丸目付介
嘉永2年3月20日1849年4月12日使番四郎左衛門西丸目付御免
嘉永3年3月7日1850年4月18日使番四郎左衛門当分之内西丸目付介
嘉永3年9月6日1850年10月11日使番四郎左衛門西丸目付御免
嘉永3年12月15日1851年1月16日西丸目付四郎左衛門
嘉永7年1月19日1854年2月16日西丸目付四郎左衛門当分之内本丸目付介
嘉永7年7月8日1854年8月1日西丸目付四郎左衛門介御免
嘉永7年9月24日1854年11月14日目付四郎左衛門勝手掛
安政5年7月11日1858年8月19日新番頭(五番組)四郎左衛門
文久2年10月10日1862年12月1日小普請組支配四郎左衛門
文久3年2月21日1863年4月8日四郎左衛門

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/文久2年)新番頭より抜粋

家紋は下り藤