城嘉茂

『江戸切絵図』番町/嘉永4年(近江屋)より抜粋、「城隼人」表記区画を嘉茂の屋敷地と推定。家禄は2000石。同区画は元治元年の『江戸切絵図』では「荒尾石見守」(荒尾成允)表記となっている

駿府目付を務めた使番

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保3年12月8日1833年1月28日秀次郎家督
嘉永3年1月11日1850年2月22日使番半左衛門高2000石
安政4年9月13日1857年10月30日使番隼人駿府目付代
慶応3年6月16日1867年7月17日隼人願之通御役御免隠居

屋敷地推定

別地屋敷地

『江戸切絵図』小日向/万延元年より抜粋、「城隼人」表記区画を嘉茂の屋敷と推定。同区画は嘉永5年の『江戸切絵図』では「荒尾土佐守」(荒尾成允)表記となっている

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政4年)使番より抜粋、家紋は七宝に梨の切り口