『江戸切絵図』外桜田/元治元年より抜粋、「駒井山城守」表記区画を朝温の屋敷地と推定。家禄は1800石
目付から一足飛びに大目付に抜擢される
役職通称遍歴
和暦 | 西暦 | 役職 | 通称 | 備考 |
---|---|---|---|---|
嘉永4年1月11日 | 1851年2月11日 | 使番 | 鍗之助 | 高1800石 |
嘉永7年10月30日 | 1854年12月19日 | 西丸目付 | 左京 | |
安政3年12月1日 | 1856年12月27日 | 目付 | 左京 | 勝手掛、海防掛 |
安政5年5月28日 | 1858年7月8日 | 目付 | 左京 | 軍制改正掛並 |
安政5年6月1日 | 1858年7月11日 | 目付 | 左京 | 養君用掛 |
安政6年11月6日 | 1859年11月29日 | 目付 | 左京 | 本丸普請掛 |
安政6年12月16日 | 1860年1月8日 | 目付 | 山城守 | 諸大夫 |
安政6年12月23日 | 1860年1月15日 | 目付 | 山城守 | 朝鮮信使来聘用掛 |
万延元年閏3月4日 | 1860年4月24日 | 目付 | 山城守 | 桜田事変吟味掛 |
万延元年4月28日 | 1869年6月17日 | 目付 | 山城守 | 国益主法掛 |
万延元年11月1日 | 1860年12月12日 | 目付 | 山城守 | 和宮縁組並下向用取扱 |
万延元年12月15日 | 1861年1月25日 | 大目付 | 山城守 | 外国掛 |
万延元年12月25日 | 1861年2月4日 | 大目付 | 山城守 | 鉄砲改 |
文久2年5月22日 | 1862年6月19日 | 大目付 | 山城守 | 政事改革用掛 |
文久2年7月25日 | 1862年8月20日 | 大目付 | 山城守 | 道中奉行 |
文久2年8月24日 | 1862年9月17日 | 小姓組番頭(二番組) | 山城守 | |
文久2年11月23日 | 1863年1月12日 | 寄合 | 山城守 | 御役御免、差控 |
元治元年6月29日 | 1864年8月1日 | 歩兵頭 | 山城守 | 高1800石 |
元治元年7月21日 | 1864年8月22日 | 大目付 | 山城守 | |
元治元年8月11日 | 1864年9月11日 | 勘定奉行(勝) | 甲斐守 | |
元治元年12月18日 | 1865年1月15日 | 大目付 | 甲斐守 | |
元治2年2月12日 | 1865年3月9日 | 寄合 | 甲斐守 | 御役御免、差控 |
慶応元年5月11日 | 1865年6月4日 | 歩兵奉行 | 甲斐守 | 高1800石 |
慶応元年閏5月8日 | 1865年6月30日 | 講武所奉行並/歩兵奉行 | 甲斐守 | |
慶応元年6月19日 | 1865年8月10日 | 勘定奉行次席講武所奉行並 | 甲斐守 | |
慶応元年11月2日 | 1865年12月19日 | 勘定奉行(勝) | 甲斐守 | |
慶応2年7月2日 | 1866年8月11日 | 大目付 | 甲斐守 | |
慶応2年8月11日 | 1866年9月19日 | 大目付/陸軍奉行並 | 甲斐守 | |
慶応2年12月3日 | 1867年1月8日 | 海軍奉行並 | 甲斐守 | |
慶応3年1月19日 | 1867年2月23日 | 陸軍奉行並 | 甲斐守 | |
慶応4年1月28日 | 1868年2月21日 | 留守居 | 甲斐守 | |
慶応4年3月11日 | 1868年4月3日 | 甲斐守 | 卒 |
屋敷地推定
武鑑記載家紋
『大成武鑑』(出雲寺/文久2年)大目付より抜粋
家紋は花菱