駒井信義

『江戸切絵図』外桜田/嘉永3年より抜粋、「駒井相模守」表記区画を信義の屋敷地と推定。家禄は2075石。駒井信興は実子

小納戸から堺奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政8年12月7日1826年1月14日小納戸長五郎
文政13年3月21日1830年4月13日西丸小姓長五郎
天保7年7月28日1836年9月8日使番但馬守高2075石
天保10年6月8日1839年7月18日使番但馬守当秋大坂目付代
天保12年8月10日1841年9月24日使番相模守遠藤但馬守が若年寄
天保13年4月15日1842年5月24日使番/火事場見廻相模守
天保13年7月1日1842年8月6日先手鉄砲頭相模守
天保13年10月4日1842年11月6日先手鉄砲頭相模守火付盗賊改加役
天保14年5月3日1843年5月31日寄合相模守御役御免
安政5年8月2日1858年9月8日先手鉄砲頭相模守
安政5年11月6日1858年12月10日堺奉行相模守
文久3年1月相模守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政6年)堺奉行より抜粋

家紋は丸に花菱

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-11-30)