小出秀実(小出実)

『江戸切絵図』愛宕下/万延2年より抜粋、「小出修理」表記区画を秀実の屋敷地と推定。昌平黌学問吟味乙科及第(安政6年)。家禄は1500石→1593.8石。土岐頼旨は実父、土岐頼礼は実兄

遣露使節正使として対露交渉に尽力

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文久元年10月1日1861年11月3日使番修理
文久元年12月7日1862年1月6日目付修理
文久2年1月20日1862年2月18日目付修理箱館派遣
文久2年9月7日1862年10月29日箱館奉行修理
元治元年9月20日1864年10月20日箱館奉行左衛門尉露使会見
慶応2年8月18日1866年9月26日箱館奉行大和守遣露使節正使拝命
慶応2年8月26日1866年10月4日外国奉行/箱館奉行大和守高1500石
慶応2年10月12日1866年10月12日外国奉行/箱館奉行大和守横浜出航
慶応2年12月20日1867年1月25日外国奉行/箱館奉行大和守露帝アレクサンドル二世謁見
慶応3年2月25日1867年3月30日外国奉行/箱館奉行大和守樺太島仮規則五箇条調印(全権)
慶応3年5月8日1867年6月10日外国奉行/箱館奉行大和守横浜帰着
慶応3年7月27日1867年8月26日勘定奉行(勝)大和守
慶応3年9月7日1867年10月4日勘定奉行大和守新田高打込、高1593.8石
慶応3年10月2日1867年8月26日勘定奉行大和守金銀座掛
慶応3年10月23日1867年11月18日留守居大和守高1593.8石
慶応3年12月27日1868年1月21日江戸町奉行大和守
慶応4年2月16日1868年3月9日寄合大和守辞任

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『慶応武鑑』(須原屋/慶応3年)箱館奉行より抜粋

家紋は八重梅鉢

肖像

出典:『幕末名家寫眞集』第[1]集,[書写者不明],[19–]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2575328 (参照 2024-05-31)