加藤正行

『江戸切絵図』番町/嘉永3年より抜粋、「加藤伯耆守」表記区画を正行の屋敷地と推定。家禄は1700石

中奥番から留守居まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文化13年8月7日1816年8月29日中奥番勘右衛門高1700石
文政11年1月11日1828年2月25日使番勘右衛門
天保7年8月4日1836年9月14日西丸目付靱負
天保9年3月24日1838年4月18日目付靱負
天保9年9月24日1838年11月10日駿府町御奉行靱負
天保13年11月30日1842年8月17日小普請組支配靱負
天保13年11月30日1842年12月31日一橋家老靱負
安政2年8月9日1855年9月19日留守居伯耆守
文久3年1月27日1863年3月16日伯耆守願之通御役御免、隠居

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政4年)留守居より抜粋

家紋は下り藤

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-04)