『江戸切絵図』小日向/万延元年より抜粋、「久世右馬吉」表記区画を広道の屋敷地と推定。家禄は3500石
歩兵役職を歴任後留守居まで昇進
役職通称遍歴
和暦 | 西暦 | 役職 | 通称 | 備考 |
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万延元年5月10日 | 1860年6月28日 | 火事場見廻 | 右馬吉 | |
文久2年1月11日 | 1862年2月9日 | 使番 | 右馬吉 | 高3500石 |
文久3年4月15日 | 1863年6月1日 | 歩兵頭並 | 右馬吉 | |
元治元年11月1日 | 1864年11月29日 | 歩兵頭 | 右馬吉 | |
慶応2年11月15日 | 1866年12月21日 | 歩兵奉行並 | 下野守 | |
慶応3年1月8日 | 1867年2月12日 | 銃隊奉行 | 下野守 | |
慶応4年4月16日 | 1868年5月8日 | 留守居 | 下野守 | 小普請之面々支配 |
屋敷地推定
武鑑記載家紋
『大成武鑑』(出雲寺/慶応2年)歩兵頭より抜粋
家紋は丸に並び鷹の羽