『江戸切絵図』小川町/慶応元年より抜粋、「浅野備前守」表記区画を長祚の屋敷地と推定。家禄は3500石
幕末まで存続した赤穂浅野家の分家
役職通称遍歴
和暦 | 西暦 | 役職 | 通称 | 備考 |
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天保10年1月11日 | 1839年2月24日 | 使番 | 金之丞 | |
天保12年7月1日 | 1841年8月17日 | 目付 | 金之丞 | |
天保12年10月19日 | 1841年12月1日 | 目付 | 金之丞 | 朝鮮信使来聘用掛 |
天保13年10月24日 | 1842年11月26日 | 甲府勤番支配 | 金之丞 | |
弘化2年3月15日 | 1845年4月21日 | 先手鉄砲頭 | 中務少輔 | |
弘化4年5月26日 | 1847年7月8日 | 浦賀奉行 | 中務少輔 | 高3500石 |
嘉永5年閏2月10日 | 1852年3月30日 | 京都町奉行(西) | 中務少輔 | |
安政4年8月11日 | 1857年9月28日 | 京都町奉行 | 和泉守 | 脇坂中務少輔が老中 |
安政5年6月5日 | 1858年7月15日 | 小普請奉行 | 和泉守 | |
安政5年6月23日 | 1858年8月2日 | 小普請奉行 | 備前守 | 松平和泉守が老中 |
安政6年8月7日 | 1859年9月3日 | 小普請奉行 | 備前守 | 講武所普請用掛 |
安政6年8月28日 | 1859年9月24日 | 寄合 | 備前守 | 御役御免 |
文久2年7月8日 | 1862年8月3日 | 寄合肝煎 | 備前守 | |
文久2年10月17日 | 1862年12月8日 | 江戸町奉行(北) | 備前守 | |
文久3年4月16日 | 1863年6月2日 | 作事奉行 | 備前守 | |
文久3年9月13日 | 1863年10月25日 | 作事奉行 | 中務少輔 | 牧野備前守が老中 |
文久3年12月15日 | 1864年1月23日 | 西丸留守居 | 中務少輔 | |
慶応2年8月4日 | 1866年9月12日 | 寄合 | 中務少輔 | 御役御免 |
屋敷地推定
武鑑記載家紋
『大成武鑑』(出雲寺/嘉永3年)浦賀奉行より抜粋
家紋は丸に違い鷹の羽
花押
[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-04)
史跡
安立院にある墓碑
命日は明治13年2月17日(1880年2月17日)