朝比奈昌宅

『江戸切絵図』小石川/嘉永7年より抜粋、「朝比奈隼人」は昌宅の子の表記。昌宅は嘉永4年に卒しているが『御府内沿革図書』に天保元年の同区画に昌宅の表記が確認できるため同区画を昌宅の屋敷地と推定。家禄は500石

徒頭から鎗奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政10年6月3日1827年6月26日治左衛門家督
文政10年8月17日1827年10月7日徒頭治左衛門
天保13年3月22日1842年5月2日徒頭治左衛門日光参詣之節御供
天保13年8月20日1842年9月24日先手弓頭治左衛門
天保13年10月13日1842年11月15日先手弓頭治左衛門日光参詣御供
嘉永元年3月8日1848年4月11日鎗奉行治左衛門
嘉永4年8月20日1851年9月15日治左衛門卒

屋敷地推定

屋敷地推定補足

出典:東京市 編『御府内沿革図書』第三篇下,東京市. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3436311 (参照 2026-09-25)『御府内沿革図書』には天保元年の同区画に「朝比奈次左衛門」の表記が確認できるため、同区画を昌宅の屋敷地と推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永3年)鎗奉行より抜粋、家紋は左三巴

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2026-09-25)