『江戸切絵図』小川町/嘉永3年より抜粋、「小栗又一」表記区画を忠高の屋敷地と推定。家禄は2500石。小栗忠順は実子
使番から新潟奉行まで昇進
役職通称遍歴
和暦 | 西暦 | 役職 | 通称 | 備考 |
---|---|---|---|---|
天保14年1月25日 | 1843年2月23日 | 使番 | 又一 | 高2500石 |
天保14年11月30日 | 1844年1月19日 | 西丸目付 | 又一 | |
弘化2年7月8日 | 1845年8月10日 | 留守居番 | 又一 | |
弘化4年10月17日 | 1847年11月24日 | 持筒頭 | 又一 | |
嘉永7年閏7月1日 | 1854年8月24日 | 新潟奉行 | 又一 | |
安政2年7月28日 | 1855年9月9日 | 又一 | 卒 |
屋敷地推定
武鑑記載家紋
『安政武鑑』(須原屋/安政2年)新潟奉行より抜粋
家紋は丸に立浪