安藤次誠

『江戸切絵図』小川町/文久3年より抜粋、「安藤与十郎」表記区画を次誠の屋敷地と推定。家禄は2000石

小納戸から小普請組支配まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保3年9月小納戸與十郎
天保5年11月28日1834年12月28日西丸小納戸與十郎
天保8年4月2日1837年5月6日小納戸與十郎
弘化5年1月11日1848年2月15日使番與十郎高2000石
安政4年閏5月18日1857年7月9日先手鉄砲頭與十郎
安政6年10月28日1859年11月22日小普請組支配與十郎
元治元年11月22日1864年12月20日奈良奉行與十郎高2000石
慶応元年6月1日1865年7月23日奈良奉行駿河守
慶応2年12月3日1867年1月8日寄合駿河守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/文久3年)小普請組支配より抜粋

家紋は下り藤

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-08)