大島義彰

『江戸切絵図』本所/嘉永5年より抜粋、「大島丹波守」表記区画を義彰の屋敷地と推定。家禄は2000石

使番から小普請組支配まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政9年1月11日1826年2月17日使番雲四郎高2000石
文政13年7月2日1830年8月19日使番雲四郎駿府目付代
天保10年7月10日1839年8月18日仙洞附久左衛門
天保13年1月15日1842年2月24日先手鉄砲頭丹波守
弘化元年12月3日1845年1月10日西丸新番頭(二番組)丹波守
弘化3年6月22日1846年8月13日新番頭(四番組)丹波守
弘化4年7月28日1847年9月7日小普請組支配丹波守
安政7年1月20日1860年2月11日丹波守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政6年)小普請組支配より抜粋

家紋は三つ盛り揚羽蝶

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-18)