大久保忠良

『江戸切絵図』小日向/嘉永5年より抜粋、「大久保彦左衛門」表記区画を忠良の屋敷地と推定。家禄は2000石

使番から普請奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政12年1月11日1829年2月14日使番彦左衛門高2000石
弘化4年11月11日1847年12月18日使番彦左衛門鹿狩御用取扱
嘉永元年6月24日1848年7月24日西丸目付彦左衛門
嘉永3年12月15日1851年1月16日目付彦左衛門
嘉永7年1月22日1854年2月19日禁裏附彦左衛門
文久元年9月14日1861年10月17日普請奉行大隅守
文久2年6月15日1862年7月11日寄合大隅守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永7年)禁裏附より抜粋

家紋は大久保藤

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-10-20)