一色直温

『江戸切絵図』小川町/慶応元年より抜粋、「一色山城守」表記区画を直温屋敷地と推定。家禄は1000石

軍備分野で才を発揮した初代製鉄所奉行

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保14年11月27日1844年1月16日小納戸邦之助
天保14年12月21日1844年2月9日小姓邦之助
弘化2年5月9日1845年6月13日使番邦之助家禄1000石
嘉永5年5月26日1852年7月13日目付邦之助勝手掛
嘉永7年5月9日1854年6月4日目付邦之助海防掛
嘉永7年7月24日1854年8月17日目付邦之助軍制改正掛
安政2年12月5日1856年1月12日目付邦之助江戸内海台場修復御用掛
安政5年2月2日1858年3月16日目付邦之助大船製造及軍艦操練掛
安政5年2月15日1858年3月28日堺奉行邦之助
安政5年3月15日1858年4月28日堺奉行山城守諸大夫
安政5年9月15日1858年10月21日大坂町奉行山城守
万延2年1月20日1861年3月1日勘定奉行(公)山城守
文久元年10月15日1861年11月17日外国奉行山城守家禄1000石、足高是迄通
文久2年12月18日1863年2月6日勘定奉行(公)山城守道中奉行兼帯
文久3年11月7日1863年12月17日勘定奉行山城守上洛御供
文久3年12月29日1864年2月6日一橋家老山城守
元治元年6月22日1864年7月25日大目付山城守
元治元年7月25日1864年8月26日書院番頭摂津守土岐山城守が若年寄
元治2年1月18日1865年2月13日寄合摂津守辞任
慶応2年12月29日1867年2月3日製鉄所奉行摂津守家禄1000石
慶応4年閏4月17日1868年6月7日寄合摂津守御役御免

屋敷地推定

別地屋敷地

『江戸切絵図』大名小路/文久3年より抜粋、「一色山城守」表記区画を直温の屋敷地(勘定奉行役宅か)と推定。同区画は嘉永3年の『江戸切絵図』においては「夏目左近将監」(夏目信明)表記となっている

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政6年)大坂町奉行より抜粋

家紋は二つ引両

史跡

長命寺にある墓碑

命日は不明