井上義斐

『江戸切絵図』四谷/元治元年より抜粋、「金子鉄太ト」表記区画を義斐の屋敷地と推定。家禄は100俵

パークスとの交渉で活躍

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政3年10月30日1856年11月27日箱館奉行支配組頭茂輔
元治元年7月30日1864年8月29日目付元七郎
慶応元年5月目付元七郎進発御供
慶応元年7月17日1865年9月6日大坂町奉行元七郎
慶応元年10月16日1865年12月3日勘定奉行(勝)/大坂町奉行主水正
慶応2年4月8日1866年5月22日勘定奉行備後守兼帯御免
慶応2年12月23日1867年1月28日外国奉行備後守席次足高是迄通
慶応3年2月8日1867年3月3日作事奉行備後守
慶応3年10月23日1867年11月18日留守居備後守
慶応4年4月主水正

屋敷地推定

屋敷地推定補足

出典:『屋敷渡預絵図証文』第298冊,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2588012 (参照 2025-02-15)

『東京市史稿』によると、元治元年8月2日に金子助三郎の上地にともない、目付の井上元七郎(義斐)が四谷仲町に250坪与の屋敷地を拝領し、この屋敷地は東は道に面し、西は内藤右門、南は一場松之助と佐治又右衛門、北は平野三郎右衛門に面しているとあり、出典元が上記の『屋敷渡預絵図証文』となっている。この絵図を元に『江戸切絵図』四谷/元治元年に記載が確認できる「平ノ」「内トウ左モン」「佐治又右衛門」表記区画に囲まれた区画に確認できる「金子鉄太ト」表記区画を義斐の屋敷地と推定。

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/慶応3年)作事奉行より抜粋

家紋は八つ鷹の羽車