本多助信

『江戸切絵図』小日向/嘉永5年より抜粋、「本多日向守」表記区画を助信の屋敷地と推定。本多助眞は養子。家禄は4262石

火事場見廻から大番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政6年8月14日1823年9月18日火事場見廻六郎
文政11年4月15日1828年5月28日火消役(六番町)六郎
天保7年3月8日1836年4月23日百人組之頭(根来組)六郎
天保8年12月1日1837年12月27日西丸小姓組番頭(二番組)六郎
天保8年12月16日1838年1月11日西丸小姓組番頭日向守諸大夫
天保12年7月19日1841年9月4日書院番頭(四番組)日向守
天保13年3月22日1842年5月2日書院番頭日向守日光参詣之節御供
弘化5年1月28日1848年3月3日大番頭(八番組)日向守
嘉永6年6月23日1853年7月28日日向守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永5年)大番頭より抜粋

家紋は丸に立ち葵

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2025-1-5)