佐久間信義

『江戸切絵図』小川町/慶応元年より抜粋、「佐久間鐇五郎」表記区画を信義の屋敷地と推定。家禄は800石

幾度も異人警護の役職を務める

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文久3年6月25日1863年8月9日小十人頭幡五郎外国御用出役頭取取締
文久3年8月14日1863年9月26日火付盗賊改幡五郎
文久3年9月10日1863年10月22日寄合幡五郎御役御免
元治元年2月20日1864年3月27日小十人頭幡五郎外国御用出役頭取取締
元治元年9月10日1864年10月10日先手幡五郎別手組頭取取締
元治元年12月27日1865年1月24日大砲組之頭幡五郎高800石
慶応元年9月26日1865年11月14日先手幡五郎別手組頭取取締
慶応2年2月21日1866年4月6日駿府町奉行幡五郎
慶応4年3月25日1868年4月17日江戸町奉行幡五郎

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/慶応2年)駿府町奉行より抜粋

家紋は丸の内に二つ引き