石河政徳

『江戸切絵図』駒込/安政4年より抜粋、「石河土佐守」表記は政徳の父である石河政平の下屋敷表記。『東京市史稿』によると、石河家の小川町牛込御門内の屋敷地は万延元年9月10日に上地になっている。この上地は石河政平への処分として、前年の家禄の700石召上に続いてなされているので代地はなかったと推定。さらに文久3年の『大成武鑑』の政徳の記載箇所には屋敷地として「小石川大つか」の表記が確認できる。政徳は小石川片町の表記区画を屋敷地としたと推定。家禄は2000石

中奥番から中奥小姓まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
弘化2年5月4日1845年6月8日中奥番数馬土佐守倅
嘉永元年8月11日1848年9月7日小納戸(家慶公)数馬
嘉永6年9月22日1853年10月24日小納戸(家定公)数馬
嘉永7年8月16日1854年10月7日中奥小姓数馬
安政元年12月16日1855年2月2日中奥小姓豊前守諸大夫
安政6年10月27日1859年11月21日寄合豊前守家督、父土佐守勤役中勤方不宜段達御懸念700石召上
文久2年寄合山城守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政6年)中奥小姓より抜粋、家紋は対い鶴