『江戸切絵図』小川町/慶応元年より抜粋、「松浦弾正」表記は信寔の養父である松浦啓の表記。ただし、慶応元年時点では松浦啓はすでに叙任されており、表記としては「松浦越前守」とすべきところだが、この情報の更新は漏れており、安政~文久ごろの通称表記「松浦弾正」のままとなっていると推定。信寔は明治維新まで家督を継いでいないため、同区画を部屋住み屋敷地と推定。部屋住み切米300俵
小納戸から江戸町奉行まで昇進
役職通称遍歴
| 和暦 | 西暦 | 役職 | 通称 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 文久3年6月9日 | 1863年7月24日 | 小納戸(家茂公) | 平吉郎 | 越前守倅 |
| 元治元年5月24日 | 1864年6月27日 | 小姓(家茂公) | 与次郎 | |
| 慶応元年9月26日 | 1865年11月14日 | 目付 | 越中守 | |
| 慶応2年2月15日 | 1866年3月31日 | 目付 | 越中守 | 長崎表為御用被遣 |
| 慶応4年3月5日 | 1868年3月28日 | 江戸町奉行 | 越中守 | |
| 慶応4年3月10日 | 1868年4月2日 | 越中守 | 辞 |
屋敷地推定
武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/慶応2年)目付より抜粋、家紋は平戸梶の葉
