菅谷政敏

『江戸切絵図』小川町/嘉永3年より抜粋、「菅谷筑後守」表記は政敏の実父である菅谷政徳の表記。政敏は安政元年に家督を継ぐため、嘉永3年時点では同区画に部屋住みしていると推定。家禄は1300石

小納戸から中奥小姓へ昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保14年11月27日1844年1月16日小納戸(家慶公)平八郎
弘化4年10月19日1847年11月26日小姓(家慶公)八十八
嘉永元年12月16日1849年1月10日小姓(家慶公)淡路守諸大夫
嘉永6年9月22日1853年10月24日小姓(家定公)淡路守
嘉永7年3月24日1854年4月21日中奥小姓淡路守内膳正倅
安政元年12月16日1855年2月2日中奥小姓長門守家督
安政6年8月29日丹波守

屋敷地推定

別地屋敷地

『東京市史稿』によると、安政6年4月14日(1859年5月16日)に菅谷丹波守政敏は小川町の屋敷地を講武所の用地として幕府に差し出し、代わりに深川海辺の明楽八郎左衛門の屋敷地を拝領したとされています。図はその出典元とされる『屋敷渡預絵図証文』の該当箇所の絵図面です。

上記の絵図面が示す箇所は『江戸切絵図』深川/文久2年では、「明楽八郎左エ門」表記のまま更新されていませんが、西隣が太田家の屋敷地であり、道を挟んで北側に伊予松山松平家の下屋敷があることから同区画の北半分を菅谷政敏の屋敷地と推定。

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政4年)中奥小姓より抜粋、家紋は六角に十六葉菊