林羅山の流れを汲む林大学頭家の私塾を「寛政異学の禁」を受けて幕府公認の学問所と位置付けて成立したのが昌平黌です。この昌平黌では、朱子学の学識の多寡を問う学力試験として「学問吟味」が実施されました。寛政4年(1792)に第1回が実施されましたが、この時は試験官である学問所の儒者と、監督官である幕府から派遣された目付の評価が合わずに及第者は発表されませんでした。寛政6年(1794)に実施された第2回学問吟味からは及第者(甲、乙、丙)が発表され、以後、慶応元年(1865)の第18回まで概ね数年おきに実施されました。
江戸東京博物館所蔵の『登科録』はこの学問吟味及第者の名簿です。『登科録』によると甲科及第がのべ66人、乙科及第がのべ419人、丙科及第がのべ465人、合計でのべ950人の及第者がいたことになります。この中には複数回及第している者も含まれますが、丙科及第者については、嘉永6年に実施された第14回以降しか名前の記載がなく、第13回以前は丙科及第者の人数しかわかりません。把握できる複数及第者の人数を差し引くと、多くとも880名の及第者がいたことになります。及第者は直参の幕臣の当主、惣領、厄介などに限られていますが、御目見得以下の御家人の及第者も多く見られます。及第者には褒賞が与えられましたが、幕職登用が保証されていたわけではありません。ただし、番入や厄介の養子縁組の機会が高まるという効果はあったとされます。下記に当サイトで紹介済みの幕臣を中心に代表的な及第者を列挙します。
第2回学問吟味及第者 寛政6年(1794)
甲科 遠山景晋 太田覃(太田南畝) 乙科 小笠原長穀
第5回学問吟味及第者 享和3年(1803)
第7回学問吟味及第者 文政元年(1818)
第8回学問吟味及第者 文政6年(1823)
甲科 井戸弘道 乙科 松崎純倹(松崎柳浪) 稲葉正申 乙骨耐軒
第9回学問吟味及第者 文政11年(1828)
乙科 戸田氏栄
第10回学問吟味及第者 天保4年(1833)
乙科 小花和正度
第11回学問吟味及第者 天保9年(1838)
第12回学問吟味及第者 天保14年(1843)
甲科 栗本鯤(栗本鋤雲) 乙科 甲斐庄正誼 堀利煕 青木義處 岩瀬忠震 永持穀明(永持亨次郎)
第13回学問吟味及第者 弘化5年(1848)
甲科 永井尚志 田辺太一 乙科 諏訪頼永 木村喜毅(木村芥舟) 矢田堀鴻(矢田堀景蔵) 大井信道 向山一履(向山黄村)
第14回学問吟味及第者 嘉永6年(1853)
乙科 大草高堅 中坊広胖 依田盛克 服部常純 山口直毅 木下利義 塚原昌義 江連堯則 丙科 榎本武揚
第15回学問吟味及第者 安政3年(1856)
乙科 朽木率綱 松平乗樸 亀井玆福 池田長発 石川利政 仙石久祇 戸川安愛 内田正雄 丙科 荒井顕徳(荒井郁之助)
第16回学問吟味及第者 安政6年(1859)
第17回学問吟味及第者 文久2年(1862)
乙科 佐藤信崇

