旗本の軍役と五番方の軍勢規模について

大名や旗本は禄高に応じて戦陣に動員すべき軍役数が定められていました。『徳川禁令考』によると、慶安2年(1649年)10月に軍役の定めが大成し、文久2年12月に出された「兵賦之達」まで下表のように定められていました。寛永10年(1633年)の軍役数がわかる場合は()内に併記します。両者を比較すると慶安2年に軍役数が抑えられたのがわかります。下表では9000石以下の旗本の軍役部分を抜粋して表にしましたが、1万石から10万石までの大名の軍役も1万石刻みで定められていました。また、下表の内訳は900石までは慶安2年に定められたもので、1000石以上は寛永10年の定めを引き継いでいるので、表記法が揃っていません。

禄高軍役数内訳
200石5人侍1 甲冑持1 鎗持1 馬口取1 小荷駄1
250石6人同上
300石7人侍1 甲冑持1 鎗持1 草履取1 小荷駄1 馬口取1
400石9人侍2 甲冑持1 鎗持1 草履取1 挟箱持1 馬口取1
500石11人侍2 甲冑持1 立弓持1 鎗持1 草履取1 挟箱持1 馬口取1 小荷駄2
600石13人侍3 甲冑持1 立弓持1 鉄砲1 鎗持1 草履取1 挟箱持1 馬口取1 小荷駄2
700石15人侍4 甲冑持1 立弓持1 鉄砲1 鎗持2 草履取1 挟箱持1 馬口取2 小荷駄2
800石17人侍4 甲冑持1 立弓持1 鉄砲1 鎗持2 草履取1 挟箱持1 馬口取2 小荷駄2
900石19人侍5 甲冑持2 立弓持1 鉄砲1 鎗持2 草履取1 馬口取2 沓箱持1 挟箱持2 小荷駄2
1000石21人(23人)持鎗2 弓1 鉄砲1
1100石23人(25人)持鎗3 弓1 鉄砲1
1200石25人(27人)持鎗3 弓1 鉄砲1
1300石27人(29人)持鎗3 弓1 鉄砲1
1400石28人(31人)持鎗3 弓1 鉄砲1
1500石30人(33人)持鎗3 弓1 鉄砲2
1600石31人(35人)持鎗3 弓1 鉄砲2
1700石33人(37人)持鎗4 弓1 鉄砲2
1800石35人(39人)持鎗4 弓1 鉄砲2
1900石36人(41人)持鎗4 弓1 鉄砲2
2000石38人弓1 鉄砲2 鎗5
3000石56人馬上2 鉄砲3 弓2 鎗5
4000石79人馬上3 鉄砲5 弓3 鎗10 旗1
5000石102人馬上5 鉄砲5 弓3 鎗10 旗2
6000石127人馬上5 鉄砲10 弓5 鎗10 旗2
7000石152人馬上6 鉄砲15 弓5 鎗10 旗2
8000石171人馬上7 鉄砲15 弓10 鎗20 旗2
9000石193人馬上8 鉄砲15 弓10 鎗20 旗2

この慶安2年に大成した軍役の定めに従って嘉永期の五番方の旗本・御家人・軍役の合計軍勢規模を試算してみます。まず「大番」ですが、大番頭の役高は5000石ですので軍役102人。大番組頭の役高は600石なので軍役13人、大番組頭は各組に4人配属されますので、4人合計で軍役52人。大番士は役高200俵なので、200石と読み替えると軍役5人、大番衆は各組に50人配属されますので、合計軍役250人。さらに御家人の与力10騎と同心20人が配属されますので、大番は1組に旗本が55人、御家人30人、軍役404人、合計で489人となります。家禄が役高以上の場合、さらに軍役が多くなるので、大番は1組当たり約500人規模の軍勢だと考えられます。これが嘉永期では12組ありますので、大番全体では5868人の軍勢となります。

次に「書院番」「小姓組」の両番を見てみます。両番頭は役高4000石で軍役79人、両番組頭は役高1000石で軍役21人、両番士は役高300俵で軍役7人、50人合計で軍役350人。書院番には御家人の与力10騎、同心20人が配属されますが、小姓組には御家人の配属はありません。書院番は1組当たり旗本52人、御家人30人、軍役450人、合計で532人。小姓組は1組当たり旗本52人、軍役450人、合計502人。いずれも10組あるので、書院番は合計5320人、小姓組は合計5020人の軍勢と考えられます。

続いて「新番」を見てみます。新番頭が役高2000石で軍役38人、新番組頭が役高600石で軍役13人、新番衆は役高150俵なので、軍役はありません。新番組は1組当たり旗本22人、軍役51人、合計73人。8組合計で584人で「大番」「両番」よりずいぶん小規模の軍勢になります。最後に「小十人組」を見ると、小十人頭が役高1000石で軍役21人。小十人組頭が役高300石で軍役7人、各組2人配属で軍役14人。小十人は役高100俵10人扶持なので、軍役はありません。小十人組は1組あたり旗本23人、軍役35人、合計58人。11組合計で638人で「新番」に近い規模の軍勢になります。五番方全体では17430人となります。