本丸御殿は将軍の住居と政庁の役割を兼ねた建造物でした。それに対して、西丸(西ノ丸)御殿は次期将軍(世子・世継ぎ)や前将軍(大御所)の住居とされました。西丸に大御所や世子がいる場合、必要に応じて西丸附御役人と呼ばれる幕職が配属され、大御所や世子の警備や生活を支えていました。『大成武鑑』(出雲寺刊)では、第1・2巻が「御大名衆」、第3・4巻が「御役人衆」として幕職の在任者がまとめられていますが、第3巻が本丸附幕職、第4巻が西丸附幕職と別の巻に分けて記載されています。同年の『武鑑』の第3巻と第4巻を比較することで本丸と西丸の幕職の関係が見えてきます。ただし、大御所と世子が存在するかどうかで西丸の幕職体制が大きく変わります。そこで以下の3パターンに分けて西丸附御役人の体制を『大成武鑑』を使って見ていきます。
- 大御所が不在で世子(家定)が決まっている場合 → 嘉永5年(1852年)
- 大御所も世子も不在の場合 → 嘉永7年(1854年)
- 大御所(家斉)と世子(家定)が併存する場合 → 天保9年(1838年)
西丸附御役人の配属数を上記の3つの場合について、同名の本丸御役人の人数とともに表にしてみました。
| 幕職 | 嘉永5年 西丸 | 嘉永5年 本丸 | 嘉永7年 西丸 | 嘉永7年 本丸 | 天保9年 大御所 | 天保9年 世子 | 天保9年 本丸 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 老中 | 1 | 5 | 6 | 2 | 1 | 4 | |
| 若年寄 | 2 | 5 | 7 | 2 | 2 | 5 | |
| 側衆 | 7 | 8 | 14 | 6 | 4 | 8 | |
| 留守居 | 7 | 5 | 5 | ||||
| 書院番頭 | 4 | 6 | 10 | 4 | 2 | 6 | |
| 小姓組番頭 | 4 | 6 | 10 | 4 | 2 | 6 | |
| 新番頭 | 2 | 6 | 8 | 2 | 6 | ||
| 小姓 | 24 | 30 | 35 | 24 | 25 | 23 | |
| 小納戸 | 77 | 108 | 141 | 71 | 45 | 70 | |
| 西丸留守居 | 11 | 10 | 9 | ||||
| 旗奉行 | 1 | 2 | 3 | 1 | 2 | ||
| 鎗奉行 | 1 | 4 | 5 | 1 | 4 | ||
| 持頭 | 2 | 5 | 7 | 2 | 5 | ||
| 先手頭 | 6 | 28 | 34 | 6 | 28 | ||
| 目付 | 6 | 10 | 6 | 10 | 6 | 3 | 10 |
| 小十人組番頭 | 4 | 7 | 11 | 4 | 2 | 7 | |
| 徒頭 | 5 | 15 | 20 | 5 | 3 | 15 | |
| 広敷番之頭 | 6 | 9 | 13 | 6 | 9 | ||
| 裏門番頭 | 4 | 3 | 4 | ||||
| 納戸頭 | 1 | 2 | 2 | 2 | 2 | ||
| 奥右筆組頭 | 1 | 3 | 4 | 1 | 2 |
①大御所が不在、世子が決まっている場合(嘉永5年)
まず、そもそも西丸附御役人にどのような幕職があるかを列挙してみます。大名職では老中と若年寄が西丸にも配属されていることがわかります。次に旗本職ですが、こちらは大きく2つの系統があります。大御所・世子やその家族に近侍して身の回りの世話をしたり、諮問に答えたりする近習系幕職では、側衆、小姓、小納戸、留守居、目付、広敷用人、納戸頭、奥医師、奥祐筆組頭などが配属されます。もう一つの系統は警備を担当する番方系幕職で、書院番頭、小姓組番頭、新番頭、旗奉行、鎗奉行、持頭、先手頭、小十人頭、徒頭、広敷番之頭、裏門番頭などが配属されます。本丸に多く配属される町奉行や勘定奉行などの役方系幕職は、西丸には配属されていないことがわかります。また、西丸附御役人の多くが本丸にも同名の幕職が存在することもわかります。このように西丸と本丸で同名の幕職同士はほとんどの場合、役高などの処遇に差がなく、同じ幕職として扱われます。これは西丸に大御所や世子が入居しているかなどの状況に応じて、臨機応変に本丸と西丸の同名幕職同士を配転できるような工夫と言えます。ただし、留守居だけは例外となります。本丸の留守居が役高5000石なのに対して、西丸の留守居は役高2000石と大きな差があります。他の同名役職が本丸附と西丸附を同じ幕職と扱っていますが、留守居は本丸附を単に「留守居」と呼び、西丸附を「西丸留守居」と呼び、別の幕職として扱っています。さらに、西丸に特徴的な幕職としては裏門番頭があります。こちらは本丸には裏門が存在しないからでしょうか、西丸にしかない幕職となります。
②大御所、世子ともに不在の場合(嘉永7年)
大御所も世子も不在ですので、多くの西丸附御役人が配属されなくなっています。嘉永5年と嘉永7年の本丸と西丸の配属数合計は小姓・小納戸を除いて同数か微減となっており、本丸と西丸で融通し合っている状況をよく表しています。一方、小姓・小納戸は数が多いからでしょうか、この間に人員整理が実施されたようです。先に触れた西丸独自の西丸留守居と裏門番頭は大御所、世子ともに不在時にも配属され続けていますが、理由は不明ですが、目付も依然として配属されていることがわかります。
③大御所、世子が両存する場合(天保9年)
『大成武鑑』には明確に、大御所附と世子(右大将)附が分けて記載されています。そこで、上掲の表でも天保9年は両者の人員を分けて記載しました。これを見ると大御所附幕職数が嘉永5年の西丸附御役人数とほとんど変わらないことがわかります。つまり、大御所と世子が併存する場合、西丸の実質的な主人は大御所であり、世子附幕職は必要最低限を本丸からの融通ではなく、純粋に増員して確保していることがわかります。ただしさすがに数の多い小納戸だけは本丸から融通して確保しているようです。
このように西丸附御役人は西丸の状況に応じて大きく体制を変えていることがわかります。

『江戸切絵図』大名小路/嘉永2年。左上の「西御丸」表記区画が西丸

