渡辺輝綱

『江戸切絵図』小川町/嘉永3年より抜粋、「渡邊甲斐守」表記区画を輝綱の屋敷地と推定。家禄は3100石。渡辺孝綱は実子

中奥小姓から側衆まで昇進

役職都勝遍歴

和暦西暦役職通称備考
文化13年12月24日1817年2月9日中奥小姓弾正高3100石
文政11年8月8日1828年9月16小普請組支配甲斐守
文政13年3月28日1830年4月20日浦賀奉行甲斐守
天保7年1月15日1836年3月2日作事奉行甲斐守
天保9年1月14日1838年2月8日田安家老甲斐守
天保14年5月1日1843年5月29日留守居格田安家老能登守
天保15年9月7日1844年10月18日留守居格大目付能登守
弘化元年12月24日1845年1月31日田安家老能登守
弘化4年10月24日1847年12月1日留守居能登守
嘉永4年3月10日1851年4月11日側衆甲斐守
安政3年4月21日1856年5月24日菊間縁頬詰能登守願付御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永6年)側衆より抜粋

家紋は丸に三星一文字

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-12-07)