渡辺恒

『江戸切絵図』小川町/嘉永3年より抜粋、「渡邊圖書助」表記区画を恒の屋敷地と推定。家禄は5000石

火事場見廻から百人組之頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保4年4月16日1833年6月3日寄合傅吉郎家督
天保13年11月18日1842年12月19日火事場見廻図書助
弘化3年3月24日1846年4月19日火消役(左内坂)図書助
安政2年7月1日1855年8月13日百人組之頭(根来組)図書助
安政3年11月図書助

屋敷地推定

別地屋敷地

『江戸切絵図』市ヶ谷/嘉永4年(国会図書館蔵)より抜粋、「定火消御役屋敷 渡辺圖書助」表記区画を恒の屋敷地(定火消役屋敷)と推定。同区画は安政4年の『江戸切絵図』では「定火消御役屋敷 本多寛司」(本多忠陳)表記となっている

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永6年)火消役より抜粋

家紋は三文銭

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-12-20)