渡辺孝綱

『江戸切絵図』小川町/慶応元年より抜粋、「渡辺肥後守」表記区画を孝綱の屋敷地と推定。家禄は3100石。渡辺輝綱は実父

将軍上洛の随従として活躍

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
弘化3年9月28日1846年11月16日小納戸恵三郎能登守惣領
嘉永4年3月19日1851年4月20日小姓恵三郎
嘉永6年9月22日1853年10月24日小姓(家定公)甲斐守
嘉永7年3月24日1854年4月21日中奥小姓甲斐守
安政3年11月28日1856年12月25日中奥小姓甲斐守家督、高3100石
安政5年2月9日1858年3月23日山田奉行肥前守
安政6年9月10日1859年10月5日外国奉行肥後守
安政6年11月4日1859年11月27日寄合肥後守辞任
万延元年6月1日1860年7月18日新番頭(一番組)肥後守
万延2年1月23日1861年3月4日浦賀奉行肥後守
文久2年7月5日1862年7月31日小姓組番頭(十番組)肥後守
文久2年10月10日1862年12月1日西丸書院番頭(四番組)肥後守
文久3年8月7日1863年9月19日書院番頭席大目付肥後守
元治元年5月1日1864年6月4日書院番頭席一橋家老甲斐守
慶応元年4月24日1865年5月18日講武所奉行甲斐守
慶応元年閏5月16日1865年7月8日講武所奉行甲斐守進発御供
慶応2年2月8日1866年3月24日講武所奉行甲斐守禁門事変功労褒賞
慶応2年10月22日1866年11月28日遊撃隊頭甲斐守席次是迄通
慶応3年4月25日1867年5月28日寄合甲斐守御役御免、隠居

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『安政武鑑』(須原屋/安政5年)山田奉行より抜粋

家紋は丸に三星一文字