『江戸切絵図』小石川/安政4年より抜粋、「山岡紀一郎」表記区画を高歩の養父の屋敷地と推定。
講武所剣術世話心得から大目付まで昇進
役職通称遍歴
和暦 | 西暦 | 役職 | 通称 | 備考 |
---|---|---|---|---|
文久2年12月9日 | 1863年1月28日 | 講武所剣術世話心得 | 鉄太郎 | 浪士取締役 |
文久3年4月14日 | 1863年5月31日 | 小普請 | 鉄太郎 | 御役御免、差控 |
慶応4年2月24日 | 1868年3月17日 | 精鋭隊頭 | 鉄太郎 | |
慶応4年2月25日 | 1868年5月17日 | 大目付/精鋭隊頭 | 鉄太郎 |
屋敷地推定
墓碑の家紋

家紋は丸に桔梗
史跡

全生庵に立つ墓碑
命日は明治21年7月19日(1888年7月19日)
肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

岡田霞船 編『徳川義臣伝 : 明治戦記』乙,金松堂,明16.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/778459 (参照 2025-01-23)
幕府名士小伝(著:木村芥舟)
山岡高步、鉄太郎と称す。性、豪壮にして雅量文武の技に通ず。慶応四年、精鋭隊長より大目附に任ず。徳川氏、罪を朝廷に得て、官軍東下の時にあたり、日夜奔走してその冤枉を弁解し、大に力を尽す所あり。その他、逸事の称すべきもの少からず。古今奇傑の士と称すべし。