山岡景恭

『江戸切絵図』深川/安政5年より抜粋、「山岡八郎左エ門」表記区画を景恭の屋敷地と推定。家禄は300俵

遠国奉行を歴任

和暦西暦役職通称備考
天保12年8月27日1841年10月11日納戸組頭八郎左衛門
天保13年5月24日1842年7月2日納戸頭八郎左衛門
嘉永5年3月24日1852年5月12日西丸目付八郎左衛門
嘉永7年4月22日1854年5月18日佐渡奉行八郎左衛門
万延元年10月22日1860年12月4日日光奉行八郎左衛門
万延元年12月16日1861年1月26日日光奉行備前守諸大夫
文久2年閏8月15日1862年10月8日奈良奉行備前守高300俵
文久3年9月13日1863年10月25日奈良奉行備後守牧野備前守が老中
慶応元年10月17日1865年12月4日寄合備後守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永7年)佐渡奉行より抜粋

家紋は丸に木瓜