森川俊朝

『江戸切絵図』小川町/嘉永3年より抜粋、「森川伊豆守」表記区画を俊朝の屋敷地と推定。家禄は6000石

番方要職を歴任し側衆まで昇進した大身旗本

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政3年5月26日1820年7月6日中奥小姓織部伊豆守惣領
文政4年12月16日1822年1月8日中奥小姓下総守諸大夫
天保2年8月24日1831年9月29日中奥小姓下総守家督、高6000石
天保3年4月8日1832年5月8日小姓組番頭(六番組)下総守
天保6年1月24日1835年2月21日書院番頭(五番組)下総守
天保10年5月24日1839年7月4日側衆下総守
天保11年1月13日1840年2月15日側衆伊豆守間部下総守が老中
天保12年3月23日1841年5月13日側衆(家定公)伊豆守
嘉永6年9月15日1853年10月17日側衆伊豆守
安政2年2がr津14日1855年3月31日菊間縁頬詰伊豆守願之通御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永7年)側衆より抜粋

家紋は丸に酢漿草

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-03)