松平正孝

『江戸切絵図』外桜田/嘉永3年より抜粋、「松平主計頭」表記区画を正孝の屋敷地と推定。大河内松平家。家禄は7000石

小姓から書院番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保14年3月23日1843年4月22日小姓内蔵助筑後守惣領
天保14年12月16日1844年2月4日小姓淡路守諸大夫
弘化2年12月16日1846年1月13日小姓淡路守家督
弘化3年8月8日1846年9月28日中奥小姓筑後守高7000石
嘉永3年中奥小姓主計頭
嘉永7年10月14日1854年12月3日百人組之頭(貮拾五騎組)筑後守
安政5年8月2日1858年9月8日小姓組番頭(三番組)筑後守
安政7年3月15日1860年4月5日書院番頭(七番組)筑後守
文久2年2月11日1862年3月11日書院番頭筑後守上洛之節御供
文久3年1月20日1863年3月9日書院番頭(五番組)筑後守
元治元年8月13日1864年9月13日寄合筑後守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/文久3年)書院番頭より抜粋

家紋は三つ扇