松平忠徳

『江戸切絵図』外桜田/嘉永3年より抜粋、「松平飛騨守」表記区画を忠徳の屋敷地と推定。藤井松平家。家禄は5000石

中奥小姓から側衆まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文化2年5月13日1805年6月10日中奥小姓主税助高5000石
文政元年9月20日1818年10月19日百人組之頭(根来組)主計頭
文政4年9月30日1821年10月25日小姓組番頭(五番組)信濃守
文政6年8月22日1823年9月26日小姓組番頭信濃守日光参詣之節御供
文政8年10月24日1825年12月3日書院番頭(二番組)信濃守
天保3年9月30日1832年10月23日西丸側衆飛騨守
天保8年4月側衆飛騨守
天保13年2月23日1842年4月3日側衆飛騨守日光参詣之節御供
弘化3年11月28日1847年1月14日西丸側衆飛騨守
嘉永5年4月21日1852年6月8日飛騨守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永4年)西丸側衆より抜粋

家紋は五三の桐

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-11-27)