松平庸

『江戸切絵図』小川町/慶応元年より抜粋、「松平織部」表記区画を庸の屋敷地と推定。同区画は嘉永3年の『江戸切絵図』において「川路左衛門尉」(川路聖謨)表記となっている。家禄は3000石

新番頭から書院番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
万延2年2月18日1861年3月28日新番頭(二番組)織部
文久2年5月28日1862年6月25日日光奉行織部
文久2年7月3日1862年7月29日小姓組番頭(七番組)織部
文久2年10月10日1862年12月1日書院番頭(四番組)織部
元治元年3月5日1864年4月10日織部正

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/文久3年)書院番頭より抜粋

家紋は六曜