『江戸切絵図』愛宕下/万延2年より抜粋、「松平侶之允」表記区画を勝雅の屋敷地と推定。久松松平家。家禄は5000石
火事場見廻から小姓組番頭まで昇進
役職通称遍歴
和暦 | 西暦 | 役職 | 通称 | 備考 |
---|---|---|---|---|
嘉永7年2月5日 | 1854年3月3日 | 火事場見廻 | 侶之允 | |
安政4年閏5月18日 | 1857年7月9日 | 火消役(駿河台) | 侶之允 | |
元治元年8月9日 | 1864年9月9日 | 持弓頭 | 侶之允 | |
慶応元年5月 | 持弓頭 | 侶之允 | 進発御供 | |
慶応2年3月9日 | 1866年4月23日 | 小姓組番頭(五番組) | 侶之允 | |
慶応2年12月21日 | 1867年1月26日 | 寄合 | 石見守 |
屋敷地推定
別地屋敷地
『江戸切絵図』小川町/文久3年より抜粋、「定火消役屋舗 松平侶之允」表記区画を勝雅の屋敷地(定火消役屋舗)と推定。同区画は嘉永3年の『江戸切絵図』では「定火消役屋舗 秋山主殿」(秋山正光)表記となっている
武鑑記載家紋
『大成武鑑』(出雲寺/慶応2年)小姓組番頭より抜粋
家紋は星梅鉢